|
私たちGAINの倫理コンセプト;
かつてマハトマ・ガンジーが提唱した「七つの社会的罪」(Seven Social Sins)
1.理念無き政治(politics without principles)
2.労働なき富(wealth without work)
3.良心なき快楽(pleasure without conscience)
4.人格なき学識(knowledge without character)
5.道徳なき商業(commerce without morality)
6.人間性なき科学(science without humanity)
7.献身なき信仰(worship without sacrifice)
これらの言葉は、一見ばらばらのように見えて、実は本質において通底する「普遍的な存在論」だと思います。
企業も社会も人が創るものです。人がどう生きるか、どう係わるか、そして何を遺すかを真剣に考え抜かなくてはなりません。これらを実践すれば、生まれるもの、輝くもの、伝わるものは、唯ひとつ「感謝」だけです。
|
|
「木の家」の住まいづくりの主役は誰でしょうか?当然住まい手です。その主役に最高の舞台を提供するのが、優れたコンセプトとインテリジェンスを持つ建築家であり、それに勝るとも劣らない専門家たちです。ゲインは本物と呼ぶにふさわしいオリジナル無垢の木を以て、最高の空間を提供できるよう、彼らとコラボしています。
選ぶ相手を間違えると、コスト主義に走った陳腐な家を押し付けられます。住まい手の方も、コスト主義に洗脳されないように気をつけましょう!
|
|
無垢の木で建てた家は燃えません
日本の家屋の出火原因は、タバコの火の不始末やコンロでの油の炎上等が指摘されています。そして家が燃えていると、木が燃えているために、いわゆる木造家屋は「火に弱い」と印象付けられています。
でもこれは結果から判断した大きな誤解なのです。
実際に消防局の調査で判明しているのは、出火から火事に至る原因の多くは、無垢の木ではなく、合板類の製品ということです。
つまり合板下地のカラーフロアや家具や建具が種火を拡大する主たる原因なのです。そこには接着剤などの石油系化学物質がたくさん含まれています。
実際に木ももちろん燃えますが、太い柱や梁がそのままで燃えることはないのです。キャンプファイヤーで火起こしするときを思い出してください。乾いた小枝や新聞紙を種火の元にすることはあっても、大きな木からでは火は点きませんよね。
ついでにいうと、(スタイロフォームが入っていない)本物の畳や土壁も燃えません。
地震は怖いけど、その後の火災はもっと怖い。今では法律で不燃材を使用することが義務付けられているケースが多いのですが、これは匂いを消すためにもっと強い匂い成分で分からなくさせているようなもの。
日本が伝統的に持っている素材は、シンプルであると同時に「燃えにくい」素材でもあるのです。燃えやすい家屋にしてしまったのは、戦後市場を席巻した「新建材」ということに気付いてください。
そんな日本人の知恵や木の文化を知らない「学者」が、今の建築基準法を作っているといっても過言ではありません
人間が主役。そしてご先祖から受け継いできた文化が主役です。
戦後の「便利性」を追及した挙句、大量生産の工業製品を当たり前のように住まいなどの生活の場面に侵入するに任せて出来上がったのが、「公害」であり「シックハウス」であり「燃えやすい家」です。文明の発展の美辞麗句の下に、人の心の豊かさや崇高さは二の次にされてしまった。
住まいにも、人の、家族の意思が隅々に行き渡るには、土に還元されるものだけじゃなく、それに人の気持ちが伝わるもの、メンテナンスは人任せにしなくてすむもの、親子数代にわたって受け継がれるものを選びたいですね。
|
|
ゲインは、なぜ「地産地消」を唱えないのか
巷の建築雑誌や木材の広報誌などでは、必ずといっていいほど、「地元の木で家を建てましょう。そうすれば、その山への手入れが行き届いて、山が生き返ります。」等々の表現で、地元での地域の材木消費を薦めています。
このことはもちろん一理(一利)があります。これは林業の継続のために必要なことですが、私が30年間見てきた実際の世界では、それに合致する地域があれば、単に経済原理だけで地域=囲い込みに偏している団体もありました。
盲目的に地域材を推奨しても、その地域材がユーザーさんのウォンツ(本質的なニーズ)を満たす保証はありません。むしろその逆のことが行われているのを、嫌というほど見てきました。
私はもちろん生を受けた地域や故里を愛しています。日本という国が大好きな一人です。だからこそ本物とニセモノをしっかり見分け、ユーザーさんにニセモノを掴ませてはならないという思いで、これまで活動してきました。
もちろん地域材がニセモノというのではありません。一所懸命に頑張っている山の人々がいることを知っています。でもそれを一種の徒党や団体で一括りにしてしまうと、産地の顔が見えなくなることが多いのです。
ユーザーさんには、自分で選んだ無垢の木を、その地域に縛られずに選択する権利があるはずです。商業主義的な木の産地もありますが、ゲインでは残念ながら採用できません。
ニッポン国内の、山の人々が一所懸命に作る高品質な製品こそを、全国のユーザーさんや建築家にお届けしたい。その一途さだけが、ゲインの姿です。
|
|
国産材を、ドイツのように日本の政治行政が百年の計で活用したら、…
@日本の家々と町並みが美しく昇華します
A森林更新を促進して、山の保水力が高まります
B山や故里に人が戻り、都市部の人々も自然豊かなライフサイクルが実現します
C熊や猪、猿が里に降りて来なくて済むようになります
D木の文化を取り戻し、日本人の心の底流にある「きづな力」が甦ります
E生物の健康を守り、命を活性化します
F生命豊かな混交林(鎮守の森)を復活させます
G人と自然(木)との新たな係わり合いから、真の知恵が生まれ、日本を発展進化させる力となります
|
|
本物の材木屋がいない!
材木屋って、何だろう?建築材を販売する会社?材料を納品する運搬会社?工務店の下請け業者(業種)?…どれも当たってます。
でもこれって一歩間違えると、ただの建材ブローカーでしょ?間違えなくても、かも…。それなら木や建築の知識がなくても、できてしまう商売で、閉鎖的な業界に守られて、机の上では握手をして、その下では蹴り合うような連中ばかりになってしまう。
安い輸入材が入れば、ためらいも無く飛びついて、国産材は「買い叩く」ことが習い性になってしまっています。これじゃあ材木屋でありながら、木材業界の足を引っ張っているだけの、残ったご飯を取り合う貧しい根性の業者に成り下がってしまうのではないでしょうか?
そんな材木屋なら、日本の森を守ることはできないし、社会に貢献できない。
材木屋は、社会的ニーズに応えることが大切だけど、それ以上にそれぞれのウォンツに確実に応えられる知識と経験をフルに生かして、適材適所を実現するコーディネーターであり、アドバイザーであり、日本の森林を復興させる主役でなくては、存在価値が無いのではないでしょうか?
|